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ものの見方が変わると、行動が変わる

日々の生活の中で、どうしても嫌な出来事だったり、自分では昇華できない感情が芽生えることは少なくない。

でも、ものの見方が変わると、自分の捉え方が、そして行動が変わる。

この考え方を知ったことで、わたしは随分感情の揺れが少なくなった。

息子の少年野球チームでの出来事から学びを得たので、共有したい。

ある子達がチームを辞めた。

練習でもレギュラーメンバーとメニューに差があり、

練習試合でも打席さえ回ってこないことが続き、

本人達がモチベーションを保てなかった。

その子の保護者は運営陣に何度も改善要求をしたが、

「そんなことはない」とかわされるだけ。

正直、運営陣が変わってから、

わたしも自分のことで忙しかったことも重なり、

全然顔を出さなくなっていた。

色々ごたついている感じはわかっていたが、

「手を出せないなら口も出さない」そんなスタンスでずっといた。

でも、その子達だけにとどまらず、

別の子達も辞める話が上がっており、

いよいよもう辞めることにしたと聞いて、

わたしにできることはないのか、

このまま何もしないで、「あの時ああしておけば・・・」と言うのは嫌だと思った。

自分のスタンスに反するが、でも心の原則に従うと、こっちが正しいと思った。

運営陣にはお父さん方が何度も声をかけているので、こっちにアプローチするのは難しいと判断。

そもそも、チームの理念ってどうなってたっけ?と、総会資料を見返す。

これが子どもよりも運営陣ファーストな内容。

子どもや保護者が意見を上げる仕組みやそれについての記載がなく、平たく言えば「指示に従わない者は退部させる」と捉えられるような文言。

正直、運営のことをそこまで深く考えたことがなかったのだが、

そこまで記載しなきゃいけないほど、過去に大変なことがあったのだろうとは思った。

そんな風に思いはしたが、

1人ひとりの野球少年の野球熱を消すことが、チームとして正しい在り方なのか?

正直わからなかった。

長男の時にお世話になった監督へ連絡し、資料から感じたわたしの捉え方を伝え、しょうがないことなのかと相談した。

すると、「文面だけ取るとそう捉えられても仕方ないような感じだけど、でも個人的にはそうは思わないと。辞めることに対しても選手の話を聴いたのか、絶対に辞めてやりたいことがあるのか、そういうことは毎回聴くようにしていた。それでも、と意思の堅い選手に関して次の道へ送り出していた」と。

その後、辞めると決めた子の母にたまたま会って話しているうちに、わたしが泣いてしまった。

辞めると決めざるを得ないくらいしんどいのはその子自身とその保護者のはずなのに。

そして、さらに辞めることを考えているメンバーの1人が甥っ子。

義姉夫婦へ連絡させてもらい、正直にわたしの気持ちを伝えた。

低学年から一緒にやってきて、あと1年、できればこのメンバーで最後までやりたいと。

しかし義姉も義兄も「身近なメンバーがどんどん辞めて、もう今のチームにいるのはしんどい、つらい」と。

そんな事を言わせてしまった・・・と思ったが、それでもわたしにできることあるんじゃないかと思った。

「7つの習慣」の中に、様々なパラダイム(ものの見方)が書かれており、その中に「敵中心」のパラダイムについて記載がある。

今の状況がまさにそのような状況になっていると思い、生意気だし、怒らせるかもしれない、不快な気分にさせるかもしれないとは思ったが、思い切って、そのパラダイムについて説明してみた。

すると、義姉から「ハッとさせられた」と、「行動力と優しさが凄い」と言ってもらえた。嬉しかった。

もちろん伝えるのは怖かった。ましてや他人ならまだしも、兄姉だからより怖かった。でも、伝えてよかった。

迷うことはもちろんたくさんあるし、判断出来ない!って投げ出したくなることもたくさんある。

でも、原則中心のパラダイムを知ってから、迷うことは少なくなった。

周囲とは違う考え方でもしょうがない、そう自分を受け入れることができたような気もする。

原則中心の生き方は、現在、過去、未来をちゃんととらえ、行きたい未来への地図があれば、行きたい場所がはっきりと見え、どうすればそこに行けるかがわかる。

だからそのために行動する。

わたしは、「子ども達が楽しくプレーしている未来」を思い描いて行動してみたということになる。

ここで注意しておきたいのが、

正しくあるべき=苦手な人もみんな好きになって仲良くしなければいけない 

ということではないということ。

自分が行動したことで影響を及ぼせる範囲は決まっているのだから、苦手な人に向けて行動するよりも、大切な人に向けて行動する方がいい。

わたし自身はそう思っている。

この出来事からの大きな気づきとして、ものの見方=在り方が深く行動に影響していること。

ものの見方が変わると、行動が変わる。

今回の出来事を通して、改めて気づいたことがある。

それは、「何をするか」の前に、「どう見ているか」があるということ。

同じ出来事が起きても、わたしたちはみんな同じように出来事を受け取るわけじゃない。

たとえば今回の少年野球のことも、

「チームに所属している以上、決められた方針に従うものだ」と見ることもできるし、

「試合に出るためには、本人がもっと努力するしかない」と見ることもできる。

また、

「少年野球は、子ども達が野球を好きになり、成長していくための場所ではないか」と見ることもできる。

どれが正しい、間違っているという話ではない。

大切なのは、自分がどんなものの見方をしているかによって、

じゃあ自分はどうする?と

その先に選ぶ行動まで変わってくるということなんじゃないかと思う。

「仕方がない」と見れば、何もしないという行動になるかもしれない。

「運営陣が悪い」と見れば、相手を変えようとしたり、批判したりすることにエネルギーを使うかもしれない。

「私にできることは何だろう」と見れば、自分が影響を与えられる範囲を探し始める。

そして、

「私は、子ども達が楽しく野球をしている未来を見たい」

そこを自分の原則に置いたとき、わたしの場合は、今までとは違う行動が見えてきた。

これが、ものの見方=在り方が、行動に影響するということなんだと思う。

在り方というと、少し抽象的で、「優しくいる」とか「前向きでいる」とか、そんなふわっとした精神論のように聞こえるかな。

でも、私が今感じている「在り方」は少し違っていて。

私は何を大切にして生きていきたいか。

何を基準に物事を見たいのか。

どんな未来に向かって選択したいのか。

そんな、生きていく上での土台のようなものだと思っている。

でも、この土台があるからといって迷わなくなるわけではない。

怖いものは怖いし、「本当にこれでいいのかな」と迷って、決意して、そしてまた迷って。

今回だって、義姉夫婦に伝えるのは怖かった。

「余計なことを言っていると思われるかもしれない」

「生意気だと思われるかもしれない」

「関係が悪くなったらどうしよう」

そんな気持ちは普通にあった。

でも、その怖さよりも、

「わたしは、どう在りたいのか」

の方を大切にしたいと思った。

相手がどう受け取るかは、わたしには決められないし、

チーム全体を変えられるなんて思ってもいない。

甥っ子がチームに残るかどうかも、もちろんわたしが決めることではない。

それでも、

「大切な人が苦しんでいるとき、わたしは何もしない人でいいのか」

と自分に問いかけたとき、わたしの答えは違った。

だから、怖かったけど、不安だったけど伝えてみた。

結果をどうこうすることはできないと思った。

でも、自分が大切にしたいと思える原則に沿って、自分にできる行動を選んだ。

以前のわたしは、迷ったときに「何をするのが正解なんだろう」と考えていた。

でも正解なんてなくて、

誰かにとっての正解は別の人の不正解だったり、万人に当てはまる正解なんてないんだよ。

だから、今は「正解は何か」ではなく、

「わたしはどんな未来にしたいと思っている?じゃあそのためにどうしたらいい?」

そう考えるようになった。

行動だけを変えようとしても、難しい。

だって今までの自分の感情が、強く引き止めてくるから。

でも、ものの見方が変わると、その先の選択肢が変わる

選択肢が変わると、行動が変わる。

そして小さな行動の積み重ねが、少しずつわたしの望む人生をつくっていく。

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