誰のための夢農園か

夢農園は、人生に大きな不満がある人のための場所ではないかもしれません。
家族がいる。
仕事もある。
住む場所もある。
毎日はそれなりに忙しくて、それなりに充実している。
周りから見れば、きっと十分幸せです。
自分でも、そう思っている。
だけど、ときどき心のどこかに、
「あれ?わたしの人生このままでいいんだっけ?」
という小さな違和感が出てくる。
15年保健師をしていたわたしは、仕事の大変さだけでなくて、それなりに楽しさもわかるようになっていた。そして後輩も増えて、教えることも楽しかった。それでも「このままの働き方を、あと何年続けるんだろう」そんな気持ちが心の片隅にずっといた。
仕事以外の時間は、勉強会に参加したり充実しているときはよかった。
でも特に予定もやりたいこともない休日や夜の時間、ただただスマホでドラマを見続けるその時間、「わたし何やってるんだろう・・・」という思いで嫌になることも少なくなかった。
何かがものすごく嫌なわけではない。
今すぐ何かを変えたいわけじゃない。
だから、その違和感をわざわざ掘り起こすほどでもない気がして、またいつもの毎日に戻っていく。

朝起きて、家のことをして、仕事へ行って、誰かに必要とされることをして、やるべきことを一つずつこなしていく。
気づけば一日が終わる。
そんな毎日を何年も繰り返しているうちに、
「わたしはどうしたい?」
と聞かれても、すぐには答えられなくなっている。

夢農園は、そんな人のための居場所です。
誰かのために頑張ることができる人。
家族を大切にして、仕事にも責任を持って、周りの人の気持ちを考えることができる人。
それは、とても素敵な力だと思います。
でも、周りの声を聞くことが上手になりすぎると、自分の声が聞こえなくなること、ありませんか?
「母親だから」
「妻だから」
「仕事だから」
「みんなやっているから」
「迷惑をかけたくないから」
そうやって一つひとつ選んできたはずなのに、いつの間にか、
自分が選んでいるのか、選ばされているのかさえ、わからなくなる。
夢農園は、そこからもう一度、
「わたしはどうしたい?」
と、自分に問い直せる場所です。

夢農園は、ここで誰かに「正しい生き方」を教えたいわけではありません。
仕事を辞めた方がいいとも思わないし、夢を見つけなければいけないとも思わない。
もっと頑張ろう、でもない。
むしろ一度、立ち止まってみてほしい。
わたしは何が好きなんだろう。
何をしていると心地いいんだろう。
何を大切にして生きたいんだろう。
本当は何をやめたいんだろう。
そして、まだ続く人生のこれからの時間をどう使いたいんだろう。
それだけじゃない。
・自分の身体の声を聞くことも、
・ちゃんと眠ることも、
・何を食べるかを選ぶことも、
・誰と過ごすかを選ぶことも、
・どんな働き方をするかを考えることも、
全部、自分の人生をつくることにつながっている。
人生は、大きな決断だけで変わるものではないと思います。
・今日何を食べるか。誰と食べるか。
・今日は休むのか、頑張るのか。
・誰かに合わせるのか、自分の気持ちを伝えるのか。
そんな小さな選択の積み重ねが、いつか「わたしの人生」になっていく。
だから夢農園で育てたいのは、
誰かの正解に従う力ではなく、
自分を知ることで自分で選ぶことができ、その選択を自分で引き受けて生きていく力です。
その場限りの答えを見つける場所じゃない。
自分がどう考えて、どう選択していくのか。
人生が続く限り、悩みがなくなることはない。
だからこそ、自分自身で答えを出していける力を育てていく。

自分の人生を、自分で選ぶ。
夢農園は、誰かに人生を変えてもらいたい人のための場所ではないのです。
答えを教えてほしい人に、答えを渡す場所でもありません。
自分の人生だから、最後は自分で決めたい。
まだ答えはわからなくても、
「わたしは、本当はどうしたいんだろう」
と、自分に問いかけてみたい。
そして少しずつでも、自分の足で歩いていきたい。
そんな人が集まり、それぞれが自分の人生への歩みを進め、仲間と一緒に成長していく場所です。

すぐに答えが出なくてもいい。
迷ってもいい。
立ち止まってもいい。
人と違ってもいい。
1人ひとり役割は違っても、それぞれの価値は変わらない。
誰かになる必要なんてなくて、自分の人生を、自分で選べるようになればいい。
夢農園は、
「わたしは、どう生きたい?」
その問いを、自分の真ん中に取り戻し
自分のための人生の歩みを進めたいと考えている人のための場所です。
でも・・・
「わたしには子どももいて、仕事もあるし、自分のために使える時間もお金もないし・・・」
「いつか、子どもがもう少し大きくなってから」
「もう少し、今の仕事が落ち着いてから」
「まだ自分にはそんな覚悟はないのかもしれない・・・」
そう感じた方もいるのではないでしょうか。
これはそのまま、わたしが感じていたことです。
だけど、
「いつかっていつ?」
待っていたら「いつか」が自分から「いつかが来たよ」って教えてくれる?
そんなことはなくて、いつ始めようと思っても、いつでも
「でも・・・」は無限に出てくる。
人間は変化を恐怖として扱う生き物だから。
変化しようとする自分に対して、脳はやらなくていい理由を一生懸命探してくる。
現状に大きな不満があるわけじゃない。
だから「このままでいいかもしれない」って判断を先延ばしにしちゃいがちなんだと思う。
けどね、ちょっと考えてみたい。
・自分が今やりたい!と思ったことをやらなかったら、5年後の自分はどうなっている?
・逆に今、「えいやっっっ」て今の現状から抜け出す一歩を歩み始めたら、5年後にはどんな人生が待っている?
1人じゃ怖いよね、何をしたらいいんだろう。どこから始めたらいいんだろう。
わからないことばっかりで不安で不安でたまらないかもしれない。
でもね、大丈夫。
わたしもそうだった。
最初の一歩って、誰かに自分の気持ちを伝えることでもなくて、
仕事をどうこうすることでもなくて、自分の気持ちの殻を破ることだった。
「自分はこうしたいんだ」っていう気持ちを素直に認めることだった。
その気持ちを素直に認めて、その感情に従ってみること。
そのためには自分のことをちゃんと知らなくちゃいけなくて。
今まで見てこなかった自分、フタをしてきた感情、見たくない感情も含めて、一回出し切って、自分をまるごと受け入れる。
そこからまた、自分が始まるんだ。
「わたしはこうありたい」
「本当はこんな風に働いてみたい」
「わたしらしく生きることができる人生があるなら行ってみたい」
「生まれてきて良かった、生きるって楽しい!って言いたい」
あなたが望んでいる人生ってどんな人生ですか?
どこまで行っても、自分の人生のプロジェクトリーダーは自分自身なのです。
ここで間違えないで欲しいのが、
「特別な人」だけが自分の歩みたい人生を歩めているわけじゃない。
自分の声をちゃんと聴くこと。
過去の辛かったこと、しんどかったこと、本当は親にこうして欲しかった、
楽しいだけじゃない感情と向き合う必要も出てくる。
でも、その中で
「本当は親に(周囲の人に)して欲しかったけど、自分ですると決めること、行動することもできたかもしれない」そんな違う視点があることに気づく。
「出来事と反応の間にはスペースがある」
周囲の出来事や起こることは自分で変えることはできないけど、それにどう反応してどう行動するかは自分で決めることができる。
この言葉・考え方を知ってから、わたしはこれから自分がどうあって、どこに進むか、自分にできることはまだまだある。
そう思えるようになった。
自分ができることがあると思えるから、一歩踏み出せる。
そして一歩踏み出したとき、それは何かが大きく変化するわけじゃない。
いつも通りの朝が来て、家族と一緒にご飯を食べて
いつも通り仕事に行く。
自分の中では大きな感情の変化が起こるけど、周囲の人や環境は変わっていないことに
最初はギャップを感じるかもしれない。
自分の人生は、自分で決めたい
「家族が毎日元気に過ごしてくれている」
「夫に対してもっとこうして欲しいと思っていたけど、彼なりにこんなに家族のことを考えてくれているんだ」
「仕事に対してあれこれ不満を感じていたけど、案外悪くないかもしれない」
「自分で自分の捉え方を決めることができるって、こんなにも幸せなことなんだ」
と、日々の日常への感謝、今ある幸せを実感できるようになってくる。

大きな変化じゃない。
でも確実に昨日の自分よりも
「生きているありがたさ、そして希望」を感じることができるようになっている。
1人じゃない、同じ志を持った仲間がいる。
わたしらしい毎日を、ここから一緒に始めてみませんか。